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[創業者対談]クラウドエース×株式会社アズ企画設計(1/3)

本連載は、クラウドエース株式会社の創業者である吉積が、創業者で既に上場を経験している経営者と対談する連載企画です。

創業者にとって上場は、会社の運命を握るターニングポイントと言っても過言ではありません。上場までの苦難と喜び、上場を機に訪れる変化。経験者達はそれらをどう受け止め、乗り越えてきたのか。これから同じ道を歩もうとするクラウドエースの創業者が、対談によって引き出したエピソードの数々をお伝えしていきます。

今回で4回目となる対談相手は、他社とは違う個性的な商品やオリジナリティのあるサービスを提供している、株式会社アズ企画設計 代表取締役社長、松本 俊人さんにご登場いただきました。

全3回に分けてお届けいたします。

Part1: 起業のきっかけ


吉積: 創業者で上場を経験された方にお話を聞いていて、ちょっと勉強も兼ねつつ、対談をさせていただいてます。

私がアクセンチュア出身で、アクセンチュアの先輩とかが対談相手は多かったんですが、それだけだと面白くないかなと思い今回は全然違う感じの対談をしたく、ご連絡させていただきました。

まず、起業のきっかけをお教えいただけますか?

松本さん: 平成5年に会社を作ったんですが、謄本上は平成元年なのは、私の友人が作った会社を私が平成5年に買い取ったからです。今考えると自分で設立した方がよかった面もあるんですけれども、平成5年でバブルが弾けて、当時の勤務先の経営難で、会社が続かなかったんですね。当時32歳で、その友人に相談していたら、彼が持っている会社の1つを買い取ることになって、それがスタートになります。当時32歳で、給料も出なくなって、、、後ろ向きの独立でしたね。

吉積: 普通は独立よりも転職を考える方が一般的かな、と思うんですが、転職は考えなかったのでしょうか?

松本さん: 普通はそうなんですけど、当時の私は30歳過ぎたら転職はできないという風に思っていたんですね。転職は20代だけのものだと思っていました。今は32歳なら転職できますが、そういう選択肢はなかったんですね。年齢的にもうダメだという時代でした。

吉積: 元々は経理をされてたんですよね?

松本さん: そうです。最初に入ったのがすかいらーくで、その後経理で入った会社が不動産業界だったんです。その頃は昭和62年くらいで、バブル真っただ中ですね。でも、その後すぐに営業に回されました。時代もよかったし、そういう適性が自分にあったんだと思いますね。

吉積: 経理から独立ってだいぶ距離があるなと思っていたんですが、そういう事だったんですね。

松本さん: 最初は会計士を目指して勉強もしていたし、正直自分に営業の才能があるなんて思っていなかったんですよ。実家がたまたま鰻屋をやっているので、会計士の試験に受からなくて、なにか実家に関係あることやらなきゃと思って入ったのがすかいらーくだったんです。実家は弟が継ぐことになって、自分の選択肢もなくなったので、経理を勉強してました。

吉積: 営業は何年くらいやられてたんですか?

松本さん: 経理は半年くらいで、あとはほぼ営業だったんですよ。その後バブルが弾けて、そういう状況になって、生きていくだけで必死でしたね。その頃子供も産まれましたし。

吉積: バブルの時期はガンガン営業もされてたんですね。

松本さん: サラリーマンでしたけどね。当時の不動産業界と今のIT業界は似てると思うんですが、何をやっても需要がいっぱいあるというか。

吉積: 起業してからはどういう感じで進んでいったんですか?

松本さん: 最初の1年は食べていくために、ブローカーみたいなこともしてました。あとは出向いていく営業をしてましたね。1日に5件〜10件くらい、持ってる人脈すべてを使って。人と会って、食事代とかでお金が10万単位でなくなっていくんですね(笑)商材がないので、御用聞き営業みたいな感じでしたね。

吉積: 当時から川口だったんですか?

松本さん: そうです。住まいが川口でした。前職の不動産は松戸と飯田橋に事務所があったので、こっちには人脈はゼロでした。迷惑がかかってしまうので、前の会社の近くでは独立したくないなと思っていたんですね。最初の半年か1年くらいは、まだ前の会社にも行ったりしていましたけど、途中でやっぱり、どちらにもメリットがないということになってそれはやめました。

吉積: そこからは、ずっと苦労されながら続けてきたという感じなんでしょうか?

松本さん: そうでもないんですよね。苦労はしたんですが、考えてみると意外と順調でした。最初の1年目は700万円くらいしか収入はなかったんですが、その後自宅から移動して、小さな事務所を借りたんですね。出向いていく営業はお金ばかりかかってしょうがないのでやめたんです。そこから地域密着戦略が始まるんですが、要するに数坪の事務所を借りて、事務所を構えて、お客さんを呼ぶような仕組みに変えたんです。

最初に構えたところは駅から3分くらいの場所で、何も無いんですが、物件情報を窓にペタペタ貼って、電話番して、会社にいるときは地主さんを調べて手紙書いたりしてましたね。それから、お客さんが飛び込みで来るようになってきて。その頃はまだ路面店の同業者がいなかったんです。エイブルさんとかが1年後に少しずつ出てきました。

それで、来たお客さんを捌くだけでも100万〜150万くらい月の収入が出るようになって、パートさんを2人くらい採用しました。その方達にお客さんの応対をしてもらって、私は空いてる時間に出向いていく営業をやっていました。最初の1年目はそれで時間とお金を無駄にしちゃってましたね。拠点を構えてからは、そこにお客さんを集約できました。

その後、パートさんだけだと休みなどの調整もあったので、やはり社員をとったほうがいい、ということで社員の採用を始めました。そこから、どうやったら食べていけるか、っていうのが分かってきましたね。



一番苦労したこと

吉積: お話を聞いていると、いたって普通のことをやってますという感じかな、と思うんですが、そこから上場まではどうやって?

松本さん: 上場までは結構時間かかりましたからね。店を構えたのが平成6年くらいで、上場が去年なので、25年くらいですね。その間、人を増やしたり、事務所を移転したりもしましたが、1年くらい前まで年中無休で働いていたりしましたから。人一倍頑張っているのに、成果が出ないのはどうしてなんだろう?って常に悩んだりもしましたね。

実家が原宿で鰻屋をやっているのもあって、原宿の近くに事務所を出したりとか、新宿に事務所を出したりとか、色々チャレンジはしたんですよ。アクセルを一気に踏もうとする時、社員を増やすじゃないですか。そうすると問題が起きたりとか。社員の面では、かなり悩みましたね。いい人の採用は難しいですね。100点満点中、50点の人はいくらでも採用できますが、80点以上の人ってそう簡単に取れないですよね。

吉積: それはどうやって工夫されたんですか?

松本さん: たまたま採用できた大学生がいるんですが、彼がフリーターをやっていて、うちの会社に入ってきて、ものすごくコミュニケーション力が高かったんですね。それで、ちょうど適性試験を導入するようになって、彼の適性をみてみたら、こういう人を採用すればいいんだ、という模範が書かれていて。それから適性の分析をするようになりました。面接だけではわからないですから。

彼のように適正がある人は、100人か200人に1人くらいなんですね。今は900人くらいの応募がありますが、昔は300人くらいの応募でみていて、その中でも適性のある人って3人くらいしかいなかったんですよね。要するに、やたらめったら性善説で採用してもしょうがないんだっていうことに気づいたんです。せっかく(面接に)来てくれたら、きてくれた人はなるべく採用したいですよね。でもそういう人を採っても、苦労にしかならないんですよ。なので、採用には注力をして、適性検査もしてからは採用にミスが少なくなりました。

吉積: うちも適性試験やっていて、傾向があるように思えないんですが、傾向出るんですね。

松本さん: 営業はありますね。ITだと、特別な技術力がある人っていうのがあるじゃないですか。だから、エンジニアとかのお仕事は能力や経験値でみるしかないのかもしれないですが、よくボス猿みたいな人を採用したほうがいいってよく言いますよね。その人の下に人がくっついているので、チームで動ける。ディレクションができるとか、リーダーシップがあるとか、そういう能力ですね。

吉積: なるほど...。リーダーシップとエンジニアはなかなか両立が難しいですが、両立すれば無敵ですねぇ。



サラリーマン時代から、起業のきっかけ、そしてその後の苦労をお話していただきました。

次回は上場を決めてからの道のりをお話していただきます。

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